研究ノート

自分を許すのは、甘やかすことなのか

ゲームをやりすぎた。

やろうと思っていたことができなかった。

「またやってしまった」と思う。

こういうとき、

「まあいいか」

で済ませるのは、なんとなく良くない気がする。

ちゃんと反省した方がいい。

次はちゃんとする。

その方が正しい気がする。

でも、

自分を責めることって、本当に次の行動に必要なんだろうか。

目次
(※クリックで開閉します)
  1. 反省しないと、またやる気がする
  2. 「責める」と「振り返る」は違うのかもしれない
  3. 自分を責めると、反省した感じはする
  4. じゃあ、全部「まあいいか」でいいのか
  5. 許すのは、反省をやめることではない
  6. 「許す」と「放置する」を混ぜない
  7. 仮説

反省しないと、またやる気がする

たぶん、これがある。

ゲームを3時間やった。

「まあいいか」

次の日も3時間やった。

また「まあいいか」。

それじゃただ自分に甘い。

だから反省する。

「今日はダメだった」

「時間を無駄にした」

「次はちゃんとしよう」

でも翌週、またゲームをする。

また反省する。

またゲームをする。

これ、反省しているのか?

「責める」と「振り返る」は違うのかもしれない

ゲームを3時間した。

出掛けるつもりだったけど、出掛けなかった。

これは起きたこと。

「またやってしまった」

「俺は意志が弱い」

「休日を無駄にした」

こっちは自分への評価だ。

しかし、自分を評価したところで、なぜゲームを3時間やったのかは分からない。

反省しているようで、原因は何も調べていない。

これが結構ある。

自分を責めると、反省した感じはする

「あれは良くなかった」

「次はちゃんとしよう」

これで一回、話が終わる。

でも、

なんで出掛けなかった?

疲れてた?

準備が面倒だった?

ゲームの方が面白かった?

そもそも本当に出掛けたかった?

こっちを考えた方が、次には使える。

反省より分析。

たぶん、そっち。

じゃあ、全部「まあいいか」でいいのか

でも、それも違う。

締切を破った。

約束を守らなかった。

やると決めたことを何度もやらない。

全部「まあいいか」では困る。

ここで一つ分けられそうだ。

自分を許すことと、行動を許すことは別。

ゲームを3時間した自分を責めない。

でも、

「ゲームを3時間する状態は変えたい」

は残る。

自分への評価は切る。

問題への評価は切らない。

許すのは、反省をやめることではない

セルフ・コンパッションという考え方がある。

「自分に優しくする」と言われると、俺はちょっと引っかかる。

それで変わるのか、と。

でも、

自分への攻撃をやめて、その分、起きたことを見る。

なら分かる。

ゲームをやりすぎた、はい。

なんで?

次どうする?

終わり。

自分を責める工程がない。

なくても別に困らない。

「許す」と「放置する」を混ぜない

たぶん、

許す=何もしない

になっているから怖い。

でも、

許す。

分析する。

変える。

でもいい。

「自分はダメだ」はいらない。

「このやり方はダメだった」でいい。

似てるけど、全然違う。

仮説

自分を許すことが甘やかしになるのは、「許したあとに何もしない」ときなんじゃないか。

失敗した自分は責めない。

でも、理由は見る。

必要なら変える。

「またやってしまった。俺はダメだ」

じゃなくて、

「またやったな。なんでだ?」

これでいい。

自分を許すって、

何でも「まあいいか」で済ませることじゃない。

反省会で自分を殴るのをやめて、原因究明を始めることなのかもしれない。