Web哲学

なぜ人は遠回りすると分かっていても、自分で確かめたくなるのか

最近、パソコン作業の姿勢について悩んでいた。

モニターの高さを変えたり、ノートPCだけで作業してみたり、スタンディングデスクを使ってみたり。キーボードも色々試した。

結局どうなったかというと、昔使っていた「PCスタンド+外部キーボード」という環境に戻ってきた。

「なんだ、最初の環境が正解だったのか」

そう思われるかもしれない。

しかし、不思議と遠回りしたことを後悔していない自分がいる。

むしろ、この回り道そのものに価値があったように感じている。

目次
(※クリックで開閉します)
  1. 最初から答えを知っていても納得できない
  2. 遠回りは失敗ではなく検証
  3. 人は経験しないと学べないのか
  4. 道草にも意味がある
  5. 仮説

最初から答えを知っていても納得できない

例えば誰かから、

「モニターは目線の高さが良いですよ」

と言われたとする。

知識としては理解できる。

しかし、それだけでは本当の意味で納得できないことがある。

実際に低い位置で使ってみて、

「首が前に出るな」

「肩が丸まるな」

と体験して初めて理解できる。

頭で知ることと、身体で知ることは少し違う。

遠回りは失敗ではなく検証

振り返ると、私は昔からこういうことが多い。

人から教わったことをそのまま信じるよりも、

「本当にそうなのか?」

を試したくなる。

もちろん時間はかかる。

効率だけを考えれば遠回りだ。

しかし、試した結果として得られた理解は強い。

今回も、

  • ノートPCのみ
  • 外部キーボード
  • スタンディング
  • モニター位置の変更

などを試した。

だからこそ、

「自分にはこの環境が合っている」

と自信を持って言えるようになった。

もし最初から答えだけを聞いていたら、どこかでまた迷っていたかもしれない。

人は経験しないと学べないのか

よく、

「人は経験しないと学べない」

と言われる。

確かにその通りだと思う。

ただ、正確には少し違う気もする。

学べないのではなく、

納得できない。

知識は人からもらえる。

しかし理解は、自分で体験しないと手に入らないことがある。

道草にも意味がある

効率だけを考えると、回り道は無駄に見える。

しかし、回り道をしたからこそ見える景色もある。

失敗した理由。

合わなかった理由。

自分が大切にしているもの。

そういったものは、実際に歩いてみないと分からない。

だから最近は、遠回りを以前ほど悪いものだと思わなくなった。

もちろん何でもかんでも試せば良いわけではない。

それでも、自分なりに確かめる時間には価値がある。

今回のパソコン環境の見直しも、その一つだった。

結局、昔の環境に戻ってきた。

でも昔とは違う。

今は「なんとなく」ではなく、「なぜそれが自分に合うのか」を説明できる。

その理解こそが、遠回りの成果なのだと思う。

仮説

人は正解を知りたいのではなく、納得したいのかもしれない。

だから私は、ときどき遠回りをする。

結果だけを知ることはできる。

しかし、その結果に至る過程を自分で歩かなければ、本当の意味では理解できない。

遠回りは非効率に見える。

それでも惹かれてしまうのは、答えそのものではなく、「なぜそうなるのか」を理解したいからだ。

今回のパソコン環境の見直しも同じだった。

結局、昔の環境に戻ってきた。

しかし、その結論に納得できたのは、回り道をしたからこそだ。

私は結果よりも理解を求めているのかもしれない。


3310Lab 研究ノート No.004