他人の評価を気にしてしまう理由は、単に嫌われたくないからではないかもしれない。
過去の経験を振り返りながら、「自分で決めること」と「他人に決めてもらうこと」の違いについて考えてみた。
私は子どもの頃から、親や先生の評価を気にすることが多かった。
特に思い出すのは、中学校で部活動を選んだ時のことだ。
本当は美術部に入りたかった。しかし、仲の良かった友人たちがバレーボール部に入ると聞き、私もなんとなくバレーボール部を選んだ。
結果として、その年の冬には辞めてしまった。
今振り返ると、美術部が嫌だったわけではない。むしろ入りたかった。それでも友人と違う選択をすることになんとなく抵抗があった。
また、和菓子職人として働いていた頃も似たようなことがあった。
辞めたいと思うことは何度もあった。
でも、一緒に働く人たちが頑張っている中で、自分だけ辞めることに強い抵抗があった。
「自分はどうしたいか」よりも、「周囲はどう思うか」を優先していたように思う。
振り返っていて、一つ気付いたことがある。
私は他人から褒められたかったわけではないのかもしれない。
本当に欲しかったのは安心感だった。
友達と同じ部活に入れば仲間から外れなくて済む。
職場に残れば周囲を裏切らずに済む。
つまり、自分で決める代わりに、周りに合わせることで安心しようとしていたのだと思う。
でも、その安心には問題もあった。
後から後悔が残ることだ。
自分で決めた失敗なら、
「自分で決めたことだから仕方ない」
と思える。
でも、周りに合わせて選んだことは違う。
後になって、
「本当はどうしたかったんだろう」
「なぜ自分で決めなかったんだろう」
と考えてしまう。
フリーランスになった時にも同じことを感じた時がある。
私は自分で選んでいるつもりだった。
でも実際は、周りの期待や空気に合わせて選んでいたことが多かった。
そのことに気付いた時、
「このままではいけない」
と思った。
仮説
人は他人の評価を求めているように見える。
でも、本当に求めているのは評価そのものではないのかもしれない。
周りに合わせれば安心できる。
自分で決める責任も少なく感じる。
だから人は他人の評価を気にするのではなく、
「自分で決めることの不安から逃れるために、他人の評価を使っている」
ことがあるのではないだろうか。
次の研究テーマ
なぜ人は、自分で決められる自由を手に入れても、誰かの正解を探してしまうのか
フリーランスになった今、私は会社も上司もない環境にいる。以前より自由に選択できるはずだ。
それなのに、新しい挑戦をするとき、事業の方向性を考えるとき、SNSで発信するとき、つい誰かの成功事例や正解を探してしまうことがある。
本当に自由を求めていたはずなのに、なぜ人は自由を手に入れた後も誰かの正解を探してしまうのだろうか。
3310Lab 研究ノート No.003
