なぜ同じ作業でも続くものと続かないものがあるのか。
そして、自分が「積み上げ」を楽しめる理由について考えたが、積み上げよりも「攻略が楽しい」のかもしれない。
最近、自分が続けられることには共通点があることに気がついた。
学生の頃、ゲームが好きでよくやっていた。対戦ゲームは苦手で、RPGを良くやってたし、レースゲームも良くやってた。
マリオカートも好きで、他人と対戦するより、自分のゴーストと勝負することが多かった。昨日の自分より少しでも速く走れると嬉しかった。
モンスターハンターでも、なぜか最初から片手剣縛りで討伐を目指していた。
社会人になってからも似たようなことをしている。
和菓子職人の頃は、昨日より早く、昨日より綺麗に作ること、いかに効率よく進めるかを考えていた。
現在のWeb制作でも、「この作業をあと10分短縮できないか」「もっと効率の良いやり方はないか」と考えることが多い。
振り返ると、昔から誰かとの競争より、自分でルールを作って縛って遊ぶことが好きだったように思う。
最初は「自分は積み上げることが好きなんだ」と思っていた。
でも少し違う気がしてきた。
積み上げそのものが好きなのではなく、積み上げる過程を攻略することが好きなのかもしれない。
例えばアクセス数や売上は自分だけでは決められない。
どれだけ頑張っても、見る人やお客様がいて初めて結果になる。
一方で、
- 記事を1本書く
- 実績を1件追加する
- 作業時間を10分短縮する
こういったことは自分でコントロールできる。
だから面白いし、没頭できる。
仮説
人は自由すぎると意外と楽しめないのではないだろうか。
ゲームが面白いのはルールがあるからだ。
もしマリオカートにゴールも順位も無かったら、きっとすぐ飽きてしまう。
自分の場合は、そのルールを自分で作るのが好きなのだと思う。
「今日はこの作業を30分で終わらせる」
「この記事は1000文字以内でまとめる」
「この武器だけでクリアする」
そんな制約があると、ただの作業がゲームになる。
積み上げが楽しいのではなく、攻略が楽しいのかもしれない。
次の研究テーマ
なぜ人は、自分で決められる自由を手に入れても、誰かの正解を探してしまうのか
フリーランスになった今、私は会社も上司もない環境にいる。以前より自由に選択できるはずだ。
それなのに、新しい挑戦をするとき、事業の方向性を考えるとき、SNSで発信するとき、つい誰かの成功事例や正解を探してしまうことがある。
本当に自由を求めていたはずなのに、なぜ人は自由を手に入れた後も誰かの正解を探してしまうのだろうか。
3310Lab 研究ノート No.005
