研究ノート

自分のことを考えるのをやめたら、目の前が見えるようになった

自分流でやっていても、本当にどうしようもない時がある。

頑張っている。

考えてもいる。

いろいろ試してもいる。

それなのに、相手に響かない。肩透かしを食らっているような感覚になる。

頑張っても頑張っても、どうも方向性が違う。

最近、これを強烈に感じたのが、新生児の寝かしつけだった。

目次
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  1. 新生児の寝かしつけには、正解がない
  2. 自分の能力では太刀打ちできない
  3. 「寝かせられない自分」を見ていた
  4. 目の前だけを見る
  5. 自分の感情を考えている暇がなくなった
  6. 「自分流」が邪魔をする時もある
  7. 仮説

新生児の寝かしつけには、正解がない

新生児の寝かしつけほど、正解が分からないものもない。

本人だって、どうやったら眠れるのか分かっていないのだと思う。

こちらが様子を観察して、眠れるように誘導したり、補助したりする必要がある。

しかも大変なのが、再現性がほとんどないことだ。

昨日は抱っこの仕方を変えたら寝た。

今日は同じようにしても寝ない。

昨日まで効いていた方法が、突然まったく効かなくなることもある。

新生児の成長が早いからなのか、その日の体調なのか、単純に個人差なのか。

理由は分からない。

とにかく「昨日の正解」が、今日も正解とは限らない。

これはなかなか厄介だ。

自分の能力では太刀打ちできない

何をやっても寝ない日が続くと、だんだん自分の中に別の感情が生まれてきた。

「なんで寝かせられないんだろう」

「何がいけないんだろう」

「自分には寝かしつける能力がないんじゃないか」

もちろん、そんなことはない。

頭では分かっている。

それでも、自分の能力で太刀打ちできないものを目の前にすると、妙な敗北感があった。

自分なりに考えているのに、うまくいかない。

頑張っているのに、結果が出ない。

こんな感覚を味わったのは、久しぶりだった。

「寝かせられない自分」を見ていた

そんな日が幾日か続いたある日、新生児がいつにも増して寝付かなかった。

2時間以上。

身体をのけぞらせて、悲鳴にも聞こえるような声で泣く。

抱き方を変えてもダメ。

あやしてもダメ。

何をやってもダメ。

もう打つ手がない。

そう思っていた時だった。

ふと、こんな声が聞こえたような気がした。

「もう寝たい。でも寝られない。寝方が分からない。誰か助けて」

もちろん、新生児が実際にそう言ったわけではない。

でも、その瞬間、自分の中で何かが切り替わった。

それまで自分は、

「どうしたら寝かせられるんだ」

と考えていた。

でも、この時初めて、

「この子は今、どうしたら眠れるんだ」

と考えた気がする。

似ているようで、まったく違った。

目の前だけを見る

そこから、目の前の新生児の一挙一動に全神経を集中した。

何を感じている?

暑いのか。

寒いのか。

お腹が空いているのか。

抱き方が嫌なのか。

身体の向きか。

揺れ方か。

音か。

光か。

眠いのに興奮してしまっているのか。

ありとあらゆる可能性が浮かんでは、試して、違えば捨てる。

ほんの小さな反応があれば、それに合わせてこちらも動く。

試す。

見る。

変える。

また見る。

細かいPDCAが、ものすごい速さでグルグルと回っていた。

なりふりなんて構っていられない。

正しいやり方なのか、自分らしいやり方なのか、そんなこともどうでもよかった。

自分の感情を考えている暇がなくなった

この時、面白いことに気づいた。

自分のことをまったく考えていなかった。

「寝かせられない自分はダメだ」

「なんでうまくいかないんだ」

「こんなに頑張っているのに」

そんなことを考えている時間がなくなっていた。

考えているのは、目の前の新生児のことだけだった。

どうしたらいい?

何をしたらいい?

今の反応は何だ?

これを変えたらどうなる?

ただただ目の前に集中する。

願っていることも一つしかなかった。

この子が安静に眠れること。

それだけだった。

「自分流」が邪魔をする時もある

結果的には、そのまま自分が寝かしつけることはできず、途中で妻にバトンタッチした。

だから「こうすれば新生児は寝る」という答えを見つけたわけではない。

ただ、大泣きしていた状態から、かなり落ち着いた状態で渡すことはできた。

それで十分だったと思う。

今回、自分が見つけたのは寝かしつけの方法ではない。

うまくいかない時に、自分が何を見ているのかということだった。

「自分は頑張っている」

「自分はうまくできない」

「自分のやり方が通用しない」

一見、問題について考えているようで、全部主語が「自分」だった。

でも、本当に解決したいのは自分の敗北感ではない。

目の前で眠れずに泣いている新生児の困りごとだ。

自分流にこだわることも、自分の能力を高めようとすることも悪いことではない。

でも、それだけではどうしようもない時がある。

そんな時は、自分のやり方をさらに磨くより先に、

そもそも自分は今、誰を見ているのだろう。

と考えた方がいいのかもしれない。

仮説

物事がうまくいかない時、問題そのものではなく「うまくできない自分」に意識が向いてしまうことで、さらに解決から遠ざかることがあるのではないか。

自分の能力。

自分の評価。

自分のやり方。

自分の頑張り。

そこに意識が向けば向くほど、目の前の相手を見るための余白がなくなる。

反対に、一度自分のことを忘れて、

「この人は何に困っているんだろう」

「今、何を必要としているんだろう」

と相手だけを見ることができれば、それまで見えていなかった小さな反応が見えるようになる。

これは寝かしつけだけの話ではないと思う。

仕事でも、人間関係でも、商売でも同じなのかもしれない。

「自分がどうするか」を考えて行き詰まった時は、「相手は今どういう状態なのか」に戻ってみる。

自分流を捨てる必要はない。

ただ、自分流が通用しなくなった時くらいは、自分を見るのをやめてみる。

答えは自分の中ではなく、目の前の相手の反応にあるのかもしれない。


3310Lab 研究ノート No.011